クレイモア吸血鬼の旅行記66


ふと、バルコニーの奥から聞こえる耳障りな異音に、アネモネは本能的な危険を察知し、顔を上げる。口元から肉塊を撒き散らし、狂ったように手足をバタつかせ…階段を這い降りる奇妙な生物たちが、一斉に吸血鬼たちへと踊りかかってきた———…!


「ゴロシデクレェエエエエッ!!!」「シャアアアアアアアアアッ!!!」 恐ろしい奇声の中に交じる、まるで人間のような言葉。

エリザ「…っ!」 街で見た寄生された動物たちを思い出し。それが元はなんであるのか、少女は理解してしまった。
アネモネ「正気を失っている場合ではないぞ。戦わなければ我らも仲間入りだ」
エリザ「…それはお断りですわっ!」 まだ青ざめているが、少女は弓矢をモンスターたちに向けた。
ジル「マスターの中に入るなんて、許さないですです!」
ドラクル「はい。お嬢様の身体を好きのようにするなんて…いけませんね。残らず片づけましょう」
アネモネ「その言い方は何かおかしいのである…」

 

 

扉の向こうから、何か気配を感じる… 嫌な予感がした吸血鬼はエリザとジルに外で待機するように言い。ドラクルと共に中へ入った。

アネモネ「これは…」
美しい金髪に白い肌。その姿はリリィによく似ている。だが———


笑みを浮かべた色がない唇、異様に大きいギョロリとした目。片方の腕、胸の女性的な象徴など、身体の一部が欠けており。そこから血を流し続けている。ソレは吸血鬼たちに気づくと襲いかかってきた————!

 

アネモネ「…複数の人間の血肉が混ざっておる」 リリィに似た残骸を燃やしながら、吸血鬼はそう呟いた。
ドラクル「フランケンシュタインの怪物でございますか?」
アネモネ「心も知性もないようだったがな。あったとしても人として暮らすことは叶わぬ… そうか、揃った情報から覆ることはないか」
ドラクル「お嬢様。彼女はいますよ、奥の奥に」
アネモネ「…正直に話そう。我は彼女に会うのがずっと恐ろしかった。病に苦しみ、儚くベッドに眠る姿は昔失ったものによく似ていた。我は治したいと思い、エーテル抗体を渡し続けたが… 病状は悪化し。変異した顔は元に戻らなかった。これが、神が定めた宿命。憎らしいほどに…」
気持ちに整理をつけようと、旅行記に書こうとしたが…ペンを折ってしまった。
アネモネ「街の者に受け入れられないなら、いつでも我が城に住んでいいと言ったが… リリィは愛する夫と暮らし、愛しい娘が生まれ育ち、沢山の思い出がある街から離れる気はないと断ったのだ。彼女がそう願うならと、我はそれ以上、何も言わなかった何もしなかった。今更、会って…我に出来ることは」

エリザ「——————っ!!」

アネモネ「エリザ…!?」 遠くから聞こえた叫びは少女のものだった。吸血鬼は血相を変えて部屋から飛び出した。


声が聞こえた方の扉を開くと、胃の中をひっくり返したいほどの異臭がした。床が見えないほどの大量の腐った肉と骨が重なり、部屋の中心は柱のような醜悪な肉塊が蠢めていた。その近くにエリザとジルの姿が見えた途端、吸血鬼は肉塊を魔法で燃やそうと腕を上げたが…
エリザ「待って!その人はまだ意識がありますわ」
アネモネ「何を言っている…?それになぜ勝手に動いた」
エリザ「”くるしい…”って声が聞こえましたの。無事な人がいるかもしれないと、探したら… 私、驚いてしまったけど。この人は他の人たちと違って、襲ってくる様子も無くて…ずっと、苦しいと泣いてるの…」
アネモネ「…なら、祈れ。苦痛も悲しみもない安らかな眠りを!」
吸血鬼はファイアボルトを唱え、哀れな人間を容赦なく燃やす。赤々とした炎の中、かすれた…けれど、確かに「…ニス…ファラ…」という声が聞こえ、灰の中に残ったのは腐食した婚約指輪であった。
アネモネ「手遅れだったのだ。変わってしまったことを元に戻すなど出来ぬ… なら、今出来る事をやるしかない」 そう言いながら、吸血鬼は壊さないようにそっと指輪をハンカチに包んで拾い。安全な四次元ポケットにしまった。
エリザ「…! ……ごめんなさい。私には殺すなんてことが出来なかったの」
アネモネ「そなたはそれでいい。その気持ちは何も間違ってなどいない」
エリザ「…あなたも悲しいでしょう」
アネモネ(最初は…一時の愛玩をするだけのペットだと思っていたのにな)「…エリザの言葉は安らぐな」
そんな感情が己の中にあったのだと自覚する。止まった心臓に鼓動を、冷たい血液に温かさを感じた。
アネモネ(過去に最愛の存在を失ったから二度と望まぬなど、ただ誤魔化しだ。我はエリザのことを愛しているのだ)「…まだ生きた人間の匂いがする。探すぞ」
エリザ「はい、ですわ」 真紅のマントを翻して部屋を出ていく吸血鬼の背中に微笑んで、少女は歩き出した。

ドラクル「ふふっ。素晴らしい光景でございますね」
ジル「…」(人間の肉なんて、あんま美味しくない血袋だけど。こんな風に変質させれば、マスターの役立てるものになるかもしれませんね)

 


石囲いの通路を潜り抜けると、暗闇の向こうから、水音と人の息遣いが聞こえてくる。同時に鼻を突く腐肉の匂い…。どうやらこの場所は牢獄のようだ。血塊のこびり付いた壁の四方には鉄格子が埋め込まれ、その内側には虚ろな目をして座りこむ年端の行かない子供たちの姿がある…。

エリザ「あなた達、もう大丈夫よ。私たちが助けに…」


“何か”に押し潰された赤黒い骸を傍に置き、正気を失った少年が、笑いながら首を前後に振りたくっている。すすり泣く少女は一行の訪室にひどく怯え、がくがくと肩を揺らしている。
…ノイエルから連れ去られた子供たちだろうか?無事…とは言いきれない状況だが、消息を絶っていた日数に比して、彼らの中にまだ多くの生存者が残されている事に、吸血鬼は違和感を覚えた。
常軌を逸した環境の中、抵抗の手段を持たない子供らが自力で生存できたとは考えづらい。館の主の意思によるものなのか…。あるいは—————…

アネモネ「…このままにしておくのは、より正気を失いそうだな。下僕共よ、教会まで護衛してやれ」
エリザ「え…?この先をあなただけで行くつもりですの?」
アネモネ「屋敷も街中もモンスターだらけだ。まもる者は多い方が良い。だが、皆で引き返している時間は無さそうだ。奥から強大な魔力を感じる、異界から更なる混沌が呼び出されようとしているような…そんな気配がするのだ」
エリザ「それなら、1人で行くより…」
アネモネ「ふふっ、ふはーはっはっはっ!我は最強無敵な超絶美形吸血鬼であるぞ! …我を信じよ」
エリザ「はぁ… あなたって。こう決めたら、簡単に考えを変えない頑固者の…アホ吸血鬼ですわね。前にした約束を忘れていたら、許さないですから」
アネモネ「はははっ、それは恐ろしいな。我はかならず帰る、約束しよう」
エリザ「…なら、このペンダントを身に着けて戻ってきてちょうだい」 少女は白い頬を薔薇色に染めて、ずっと渡したかった金の装飾に縁取られた深紅の石が付いたペンダントを吸血鬼に差し出した。
アネモネ「……ありがとう。素敵なお守りだ」 吸血鬼は笑顔を浮かべ、ペンダントを受け取った。思わず言いかけた言葉を心の内に飲み込んで(なぜ…なぜだ?偶然と思うには似すぎている…無くしたはずの妻の形見に)