クレイモア吸血鬼の旅行記81 ノヴィスワールド-檻の中の赤い花 後編-


ノエル「…足元が暗いから、転ばないようについてきて。…出口までたどり着けば、しつこい追手は何とかなる筈よ」

アネモネ「心配ない。我は特別に目が良いのでな。闇の中でもそなたの愛らしい顔がよく見えるぞ」
ノエル「…ふざけたことを言ってないで急ぐわよ」 睨むように細められる少女の瞳だが、その頬が微かに赤く…
グルーク「———酔狂な事だ。利に聡い冒険者が取る行動とは思えないな」
ひどく場違いで慇懃な声が、下水道に響いた。金髪碧眼、一目見て分かる効果そうな生地に派手な装飾を施した貴族の衣装。ダルフィの市街を騒然とさせた監守長を名乗る男が、多数の部下を従え通路の中央で吸血鬼たちを待ち構えている。
ノエル「また、あなたなの…」
グルーク「生憎と、執念深い性質でね。今回は念を入れて、吾輩の可愛いペットにも同行してもらったよ。さあ、ヴィヴィアン…3日ぶりのディナーだ。そこに居る冒険者の肉を好きに貪って構わないからね…」
恐ろしい唸り声が狭い空間に反響し、看守長の影のように後ろにいた巨体が姿を現す。その肌は皮を剥がれたようなに赤黒く。足の甲から生えているのは指ではなく、長く鋭い爪だ。

マリー「なんだこの生き物は…」

アネモネ「原型がわからなくなるほど改造された魔獣だ。…我とは趣味が合わない可愛がり方であるな」
ノエル「…変に私を庇い立てすることはないわ。あなたたちだけでも」 少女の言葉は途切れた。その瞳に映ったのは揺らめく炎のように翻る真紅のマント。迷いなく目の前の敵へ向かっていく吸血鬼の背中だった。

アネモネ「あの男は1人になったら逃げるだろう。マリー、そっちは頼んだ」

マリー「ああ、わかった」

ノエル「…っ……」



マリー「お前の相手は私だっ!」 魔獣の前に躍り出るバンパイアハンター。《破壊の斧》の強打と、エンチャントされた電撃に巨体がよろめく。魔獣の空ろな目玉はギョロギョロと動かし、僅かな灯りの中で青みを帯びた月光のように輝く髪を捉えた。
グルーク「まるで舞台のヒーローのようだな。滑稽な女だ、いますぐ噛み砕いてやれ!」

アネモネ「なら、我は闇から襲いかかる怪人の役をやるか」
暗闇の向こうから響く吸血鬼の声。看守長がその方を見ると、片耳に鼓膜をつぶすような音が響いた。耳たぶに触れると赤い血が滴っている…
グルーク「銃弾か…生憎、吾輩は銃の腕前があってな。遠くからの攻撃で有利だ…ぐあっ!?」 不遜に笑おうとした看守長に浴びせられる毒を含んだ激しい息。ペットのヴィヴィアンの毒ブレス攻撃だ。

マリー「おっと、失礼。まさか飼い主まで巻き込んでブレス攻撃をしてくるとは思わなかったよ」
グルーク「貴様…!」

アネモネ「忘れられると寂しいぞー」 再びグレネードがエンチャント付与された銃弾が飛んでくる。何度も耳を潰すような攻撃に看守長はよろめき、体勢を立て直そうと歩いていくと…闇の中でランプのように光る2つの灯りが見えた。ゆらゆらと燃える火のように動き、まるでこちらを見つめているような…
グルーク「…ヴィヴィアン!なにをしている!?奴らを殺せ!!」


会心の一撃! 吸血鬼は『危険すぎる暗黒』を誇らしげに構えた。 看守長の『グルーク』を射撃し 粉々の肉片に変えた。

アネモネ「命令するばかりで大した事をしない奴であったな… だが、我が身に浴びせた温かな貴様の血は褒めるぞ!はははははははははっ!!」

マリー「笑ってないで、助けてくれないか。思いの外…攻撃を避けられてな」

アネモネ「ふむ…腹を空かせているなら、新鮮なミンチ肉を料理し。食べさせれば大人しくなるのではないか」

マリー「…鞭でしばくぞ」

アネモネ「おお、怖い怖い」 ふと吸血鬼は血だまりの中に落ちている黄金の銃に気づき。拾い上げて、しばし見つめた後に笑い。銃を構える。「そうだな、これで終わりをくれてやろう」

 

 

複雑に入り組んだ迷路をノエルと共に進む。地図になど到底書き込めないような無数の分岐を、彼女は一瞬の躊躇もなく駆け抜けていく。何度分かれ道を通り過ぎただろうか。…いつしか追っ手の気配は遠ざかり、辺りには水滴の滴り音と人の息遣いのみが残されていた。
ノエル「ここまで来ればもう大丈夫…。順路を知らなければ絶対に辿り着けない場所だから。…私はね…慣れているのよ。嫌というほど通った道だもの。ダルフィに移住する前は、この先の”土地”の人間だったの」

マリー「…戻ってよかったのか?」 あまりにも暗い声音で話す彼女に思わずそう聞いてしまった。
ノエル「…?…いいえ、別に治安が悪い訳じゃないんだけれどね…。とにかく薄気味悪い場所よ。あなたも一度足を踏み入れれば分かるわ。ほら、頃合いよくもうすぐ終点だから」
地下通路から徐々に人口の気質が消え、天然の岩肌が露出し始める。断岸に繋がる滝の音と共に、白んだ光が視界一面に飛び込んできた。吹き込むように頬を打つ風の流れ…出口が近い————…
ノエル「着いたみたいね…。ようこそ、”白紙の街”へ」


其処はうそ寒い程の白塗りの街だった。塗装の施されていない純白の街路、家や柱を包む無職彩。その構成すべてが空っぽの街…。人の流れはある。往来の飛び交う人々の喧騒も聞こえる。しかし、彼らのやり取りには籠るべき熱がなく、どこか他人事のような倦怠を感じる。…そんな光景が街の方々で展開されている。…まるで舞台の演技のようだ。
行商人「やあ、兄弟。お前さんも行き場を無くしてこんなところまで流れてきちまったのか」
ふと、往来を歩く商人が吸血鬼たちに目をつけ声をかけてきた。
行商人「かく言う俺は、以前ポートカプールで交易商を営んでいてね、これでも旅団を5つも雇うほどの商会主だったんだ。パルミアにルミエスト、色々な街を渡り歩いたね。嘘だと思うなら、ジャハークという名を出してごらんよ。今でも名前ぐらい覚えている人間は大勢いるだろう。しかし、人生そうそう上手い事ばかりじゃない……」
聞いてもいないことを延々と捲し立ててくる男の勢いに辟易する。透き通ったガラス玉のように何も映さない眼差し。自身の破滅を語るその口には微かな感情の断片する宿ってはいない。
行商人「なぁ、同情してくれるだろう?…まあ、大変なのはお互いさまだな、頑張ろうじゃないか兄弟」
ニコニコしながら、陽気に手を振り去っていく。…薄気味悪い男だ、本心か演技か。ノエルの小さく嘆息が聞こえた。
ノエル「…あのおじさん、2ヶ月前は自分の事を、パルミアで博物館を営んでいた実業家のサラディーンだって名乗っていたわ」
デタラメだった。何ひとつ共通項がない。もう一度話しかけた時、同じ肩書きを名乗るかすら怪しいものだ。
ノエル「何も彼が変わっているんじゃない。この街ではね、”あれ”が普通なの。ダルフィにすら居場所を失い、過去を捨てた浮浪者たちが住まう集落。地図に決して記されることのない白紙の街…。誰が名付けたのか、街の実態を知る者はこの土地を”ラブラ・ラーサ”と呼んでいるわ。
名前も、過去も、経歴も。ここの住民にとってはただのお飾りでしかないのよ。数時間程度で交換する程度の価値しかない。今日街で暮らしていた人間が次の日に姿を消す事だって珍しくない。そんな場所がまともな市街として機能する筈ないでしょう?だから本当は、ここは街でも何でもない。最低限の経済活動や相互狭助こそ保証されているけれど、ただそれだけの虚しいハリボテよ」
表情を消して、陰鬱そうに口をするノエルだったが、微かに笑みを浮かべて吸血鬼たちへと向き直った。
ノエル「この往来に長居するのも精神衛生上、あまり良くないわね。数年前まで私たちが住まいに使っていた平屋に案内するわ。快適…とは言えないけれど、定期的に手入れはしているから、雨露くらいは凌げると思う」
白塗りの街先を、ノエルの先導で散策する。彼女の足取りに危うさはない。

アネモネ(”私たち”…誰かと一緒に暮らしていたのか?)
ノエル「どうかしたの?行きましょう?」
彼女について知るべきことは、どうやらまだ数多く残されているようだ…。

 


白い街の景色から一変した寂れた荒野。そこにノエルが暮らしていた家があった。外観は古びていたが、中は丁寧に掃除されている。
ノエル「水と保存食はしばらくは大丈夫ね…茶葉はあったかしら?」

マリー「私たちは水で充分なので。お構いなく」
ノエル「そう…?横になりたいなら、ベッドが2つあるからそれを使っていいわ。私は…適当なところで寝るから」

マリー「それは悪いよ。私は鎧を着たまま寝ることに慣れているから、床で休ませて…」

アネモネ「そのようなことは無駄に体力を消費するだけだ。なに、ひとつのベッドを使えるのは1人だと限らない。我とノエルは小柄だ、一緒に寝れば良いことだ」
ノエル「は…!?な、なにを言っているのよ!!バカ!!」

 


ノエル「少し、風に当たらない…?」
そう彼女からの誘いで、家の裏へ向かう吸血鬼。マリーは”私は少し休んでいるよ”と家の中に残っている。

ノエル「久しぶり、元気にしていた?」
…その墓標はノースティリスの地平を見渡せる、小高い丘の上にあった。赤光が丘陵を茜色に染める。そよぐ風と揺らぐ藪の中、ひっそりと置かれた石造りの碑銘。その墓前に花を手向けるノエルの表情は穏やかで、しかし翳るような悲しみに染まっていた。
ノエル「…友人の墓よ。ダルフィに移り住む前、この街で一緒に暮らしていたの。イーシャ先生の孤児院の生徒でね。私が院を出ると打ち明けた時、どうしても私についていくと言って聞かなかったわ。…可笑しいのよ。彼女は私にないもの全部を持っていた。優しくて、皆に慕われ、必要とされて…。なのに、どうしてかしら。彼女は私と共に行く道を決して譲らなかった」
今思えば、彼女の心には綻びがあったのかもしれない。私と同じく。人として、大事な何かが欠損していた。だからこそ、私たちは互いを補ってこの街で生きていくことが出来た…。
ノエル「貧しくて、先の事なんて何も見えなくて…。在り得ない空想や絵空事を毎晩のように語って…。それでもね…。私にはソレがとても幸せだった。あの時の私は、確かに幸福を感じていた」
韜晦するように息を吐きだす。祈る神などなく、それでも彼女は後悔した。紅く澄み渡った空に向かって…。
だけどそれも一瞬…。幸せの時間なんて、ガラス細工より簡単に壊れてしまう。今回も———…お母さんの時だってそうだった。
ノエル「…殺されたの。私が仕事から帰ったある日、彼女は家の中で置物のように冷たくなっていた」
この場所で。この白亜に染まった虚飾の街で。彼女とその友人であったという少女の身に、一体何が起こったのだろうか。ノエルはそれ以上何も語らない。ただ虚ろな眼差しで、丘の上から覗く街の景色を見つめている。
薄暮の街路へ映し出される、段差になった人影。それは家族の団欒だった。父と母に挟まれ、手を繋ぎ歩く子供が嬉しそうにはしゃぎ、視界の向こうで笑っている。…タブラ・ラーサにも、そんな光景は確かに存在していた。


ノエル「例えば…今、私たちが見ているあの家族の姿は、嘘、それとも本当?真実だとして、彼らは身内に向ける暖かい眼差しを他者に対して向けられると思う?…じゃあ、その優しさは、果たして永遠に続くものかしら?疑い始めれば切りがない。何もこの街だけが特別な訳じゃない。外の世界でだって、騙し、騙されて、奪い、奪われ、皆そんな風に本心を隠しながら生きている。今の”本当”が、次の日も真実である保証なんて何処にも無い。他愛ない理由で、人が鬼になる瞬間を私はこれまで何度も目にしてきた」
皆が皆、付け替え可能な仮面を顔に纏って騙し合い、奪い合う。時に自身が仮面を纏っている事にすら気づかずに。それはまるで、三文芝居の喜劇のようだ。
ノエル「彼女の死体を埋めた日も、私はここでずっと街の景色を見つめていたわ。犯人は結局分からず仕舞いだった。私と彼女の知る人たちは、いつも親切で、ひたむきな優しさを向けてくれる大人ばかりだったから。…信じたくなかった。自分の今まで信じてきたものが何の意味もないハリボテだったなんて」


今でもはっきりと思い出す。街から聞こえる騒めき。
「あいつがやったって話だよ…。あのガキ2人と懇意にしていた行商人が…」「家から地下水路に走り去っていくのを見たって」「そうなのか?俺はてっきり奴らの隣に住んでた神官くずれの仕業だと…」「本当の話かって…?知らんな、そんな事は」「居場所と言われてもねぇ、もう近くにはいないだろう。ここはそういう街さ」
これ以上聞きたくないと両耳を防いでも、聞こえ続ける。
「大して珍しくもない話だよ」「こんな所に小娘2人で」「自業自得」「可哀想に」「誰だって」「いくら払う?」「見たかったなぁ」「よくある事」「巻き込まないでくれる?」「嘘つきばかり」「どうでもいいよ」「気持ち悪い…」「××××!」

 

ノエル「————そんな風に目を向けたこの世界は…直視できないほど醜かったわ。視界に映る何もかもが、どうしようもなく歪んで見えた…」
幸福だと信じていたものが崩れて、溶けて…。代わりに私の”底”に残されていたものは行き場のよく分からない狂おしい怒り。それは養父から逃れ、自分の内から消え去ったと思っていた、仄昏い何か…。———ずっと抑え込まれ、私の中で眠っていたどす黒い怪物の産声を、私は確かに聞いた気がした。
ノエル「憎悪に駆られるまま街を飛び出して、私はダルフィに移り住んだ。始まりはあの子を殺した人間への復讐だったの。…舞い込んでくる情報には事欠かなかったわ。それからノースティリス中を渡り歩いて、怪しい者を、場所を、端から端まで燃やし尽くした。真義なんてどうでもいい。…その為に何人巻き添えにしようと構わない。どうせこの世界は狂っている…!幸せそうな奴らも、不幸な人間も、善人も悪人も、何もかも!」

アネモネ「…」 吸血鬼は彼女の話を静かに聞いている。ノエルの激しい衝動に何か思い耽るように。
ノエル「全部、壊さなきゃと思った。養父という悪魔を消し去ったあの炎で。私が唯一信じられる、平等で無慈悲な赤で包んで…!愉しかったわ…せいせいした…!みんな、みんな真っ赤に染まればいい!業火の中では…誰も嘘なんて吐けないんだから!」
狂気を孕ませた表情でノエルは嗤った。そう言って笑みを浮かべられる程に、彼女は人間というものに絶望しきっていた。…垣間見たその闇は、あまりにも悲しい。


いつしか友のように思えるようになったイサラ。昔と何も変わらない優しいイーシャ先生。地下水路までの逃走を手助けしてくれたダルフィの人々。そして…炎のように揺らめく真紅のマント。
ノエル「……私にはもう、よく分からなくなってしまった…。あなたに手を引かれて、みるみる色づいていく世界を目の当たりにして…。もう一度信じてもいいと思えたの。触れられる優しい景色が、例え永遠じゃなくって構わない。いつか騙されたって、裏切られたって、そんなのは全く問題じゃない。…ただ、私自身が信じたいって…そう、思った。心の内から湧き上がる衝動に突き動かされるように。ごめん…。矛盾してるわね…」
俯き、前髪で瞳を隠したままノエルが呟く。一際強い風鳴りに、彼女の言葉はかき消された。

————あなたがいつか心から幸せだと思えた時、それがこの世界を愛するということなんだから…。

ノエル(私には————…難しすぎるよ、お母さん…)
赤く、残酷なほど澄んだ夕陽の眩しさを前に吸血鬼は思わず目を細める。その光は少女の影をかき消してしまう程に強く、鮮烈で…。断崖の墓前に添えられた花だけが、物言わず小さく揺れていた———…