クレイモア吸血鬼の旅行記71


アネモネ「ほう…?ルミエストにこのような場所が出来ていたとは、前に訪れた時には気付かなかったであるな」
モイアー「おや、アンタは…随分と久しぶりに見るねえ。なぜ俺がここにいるって?ノイエルがあんなことになって大慌てで逃げたのさ。だが、商品も道具も置いてしまって最近まで職無しになっていたが…やっと新しい商売を始められそうでな。見てごらん、この遊覧船を!良い感じだろう」
アネモネ「確かに芸術の街に相応しい美しい装飾された船であるな」
モイアー「そうだろうそうだろう。近々このパルミアにロスリアの使節団が訪国するんだそうだ。式典当日は国を挙げてのお祭り騒ぎになる。このルミエストからも遊覧船が出て、ヴァリウス卿直々に乗船されるんだと。これで俺の苦労も報われるってもんだ。船も完成して、今この遊覧船は試運転のための仮運行中なのさ」
アネモネ「それは良い機会だ。さっそく乗らせてもらうぞ」
エリザ「え…私は遠慮しますわ」
アネモネ「エリザは船に弱かったな。しばらくルミエストで待っているがよい」
ジル「マスター。ゆーらんせんって、どんな感じなのでしょうか?旅行で乗った船とは違うのでしょうか?わくわくするのですですー」
ドラクル「船の上で眺めるノーティリスの景色は素晴らしいでしょう。紅茶と菓子を用意しませんとね」
エリザ「…私もやっぱ行きますわ」
アネモネ「寂しい想いさせた分、後でいくらでも抱いてやるぞ。無理に行かなくても…」
エリザ「う、自惚れないで。急に気が変わっただけですわ」
アネモネ「…そうか。ふふふ。では、”いつもどおりに”船に乗るぞ」

 


アネモネ「内装も良いではないか。バーにカジノ…こっちは客室か」
ロミアス「なんだ、君もこの遊覧船に乗っていたのか。なかなかに景気が良さそうじゃないか」
アネモネ「さて、次は…」 吸血鬼は開いたドアを閉めようとした。
ロミアス「冒険者というのはいつも忙しないな。ここは遊覧船だ。もう少し寛ぐ余裕をもったらどうだ?私たちはパルミア女王の計らいでこの船の試乗会に招待されたのさ。どの道、ヴァリウスの顔を拝むまでは国を離れる訳にもいかないだろう。暇つぶしには丁度いい」
アネモネ「私たち?ラーネイレもおるのか」
ロミアス「ここに来るまでに会わなかったのか?海を見たいと言っていたから、甲板にでも出ているのかもしれないな」
アネモネ「それでは、さよなら。我は空を眺めながら寛ぐとしよう」
ロミアス「乗船するたびに4つの土が入った箱を積み荷に運ばせる幼い少女がいる、という話を船乗りたちから聞いたのだが…何か知ってるか?ああ、すまない。私の前職は旅鴉、梟と呼ばれる伝令者でね。情報を集めるのが趣味なのさ」
アネモネ「…自分より大きい生き物に突くのは愚かな鳥だと思わぬか」 静かにそう答える吸血鬼。真紅のマントの中からキィキィと蝙蝠の声が聞こえる。
ロミアス「今の私はラーネイレの護衛さ。彼女に危害を加える存在は許さない。3年前の森焼討時で負った火傷で、より深く刻まれたよ。…もしも、彼女の喉元に傷があったら、私はどこまでも貴様を追う狩人になる。私が言いたかったことはそれだけさ。さあ、ごゆっくりするといい」
アネモネ「ふはははははははっ!思いの外、楽しめたぞ。それでは、ご機嫌よう」


アネモネ「ラーネイレ、ここにおったか。青い空、青い海の中に佇むそなたは麗しい……ぬ?」
ラーネイレ「…」 エレアの少女は魅入られるように海の彼方を見つめている。吸血鬼に気づいてない様子だ。それに吸血鬼はにやりと笑うと背後に忍び寄った…

 


ラーネイレ(既視感…?まさか…そんな事、ある筈がないのに…)
そう、有り得ないことなのだ。本来ながら…。自らの記憶を疑うなど…。
ラーネイレ(………。不安を感じているの…?私は…)
自分を置いて3年の時を廻り続けたこの世界に…。目の前の景色にどこか隔たりを覚えている、自分自身に…。森で目覚めたあの時から、何をしようと決して拭いきれない違和感…。まるで世界から取り残されたかのようなこの感覚は、未だ戻ることのない記憶のせい…?それとも————…
ラーネイレ「…」
目蓋を閉じて、霞む意識の向こうに映る景色へと、手を伸ばす…。


どこまでも広がる海面…。暗く、深淵の淵へと沈んでいく感覚…。ああ…私は”これ”を知っている…。深い喪失の痛みに包まれたこの感情の名を…。
ラーネイレ(哀、しい…)
そう…私は哀しかったのだ…。世界を包み込む、自分のものとも、誰のものとも知れぬその想いに触れて…。全てが闇に溶けていく果ての水底で眠りながら。
ラーネイレ(3年前のあの日、私は確かに”此処”に居た…。そして、差し込む光の向こうで誰かと—————…)
「————」 不意に、誰かの懐かしい声を聴いた気がした。
ラーネイレ(———貴方は、誰…?一体、私に何を語り掛けているの…)

アネモネ「…ラーネイレ?」

 


ラーネイレ「ごめんなさい、私、いつの間にかぼぅとしていて…」
アネモネ「心配したぞ。何をしても反応がなくて…癒し手を呼ぼうかと思ったぞ」 背後から抱きしめても驚かず。アネモネの行動に怒ったエリザ(蝙蝠の姿)が翼でバサバサと攻撃してきての騒ぎが起こっていたのに。ラーネイレは石像のように立ったままだった。
ラーネイレ「…最近多いの。少し気を張り過ぎているのかもしれないわね。なんだが、色々と考え込んでしまって…」
アネモネ「悩み事なら、いくらでも聞いてやるぞ。我はそれなりに経験が豊富でな。少しは力になれるかもしれん」
ラーネイレ「ふふっ、大丈夫よ。別にどんな大袈裟なことではないから。ただ———…」
消え入りかけた声音で何かを言い淀むラーネイレの姿は、どうしてかひどく頼りなげだった。彼女の笑みが、弱々しく揺らぐ。焦点を喪った蒼い双眸は、決して目の前の景色を映そうとしない。…再び海へと向き直ろうとするその気配が、何処か手の届かない場所へと遠のいていくように思えて…。
アネモネ「…っ」 ふと脳裏に海に沈んだ少女が泣いている姿が思い浮かび、吸血鬼はラーネイレの腕に手を伸ばしていた。
ラーネイレ「冒険者さん…?」
弾かれたように顔を上げ、エレアの少女が吸血鬼の姿を覗き込む。ややあって…。微かに戸惑うような表情を浮かべた後、ラーネイレは遠慮がちにアネモネの指先を握り返した。
ラーネイレ「————…ありがとう…」 花開くように微笑んだ。その笑顔に心臓が脈打つ音を聞いた気がする。吸血鬼の冷たい手を覆う手袋越しでも、彼女の温かさを感じた。
ラーネイレ「…覚えている?数カ月前、私が森で目覚めたあの時も…。あなたはこんな風に、いつの間にか私の隣に居てくれたわね…。私、とても嬉しかったの。夢の中では光に手を伸ばすことばかりに必死で、その先に自分の居場所があるなんて、思ってもみなかった…。私を見つけてくれたのが、あなたで良かったと…。今は心からそう思う」
再び、どこか遠い目をして。呟くように彼女は言う。
ラーネイレ「そう…。きっと大丈夫…。この温もりを感じられる内は、きっと————… あ…何を言っているのかしら、私。…特に深い意味はないから気にしないで。もう少しここで海風に当たっていくわ。後でまた落ち合いましょう。アネモネ」
早口はそう言った後、ラーネイレは慌てて吸血鬼から距離を取った。…気になるところがあるが、普段の調子を取り戻したようだ。僅かに名残惜しさを感じながら、ひとまず甲板を後にすることにした。

 


まもなく朝陽の昇る時分だった。船体を大きく揺さぶる横凪ぎの突風。木造の壁が軋みを上げ、叩きつける豪雨に窓越しの遠景が霞んでいる。船を襲う異変に気付いたあなたは、手近な荷物のみを掴み取り、あてがわれた船室を後にした…。

甲板へと出たあなたの耳に、幾つもの悲鳴と怒号が突き刺さった。船体を揺らす衝撃の中、逃げ惑う乗客たちの姿が横目に映る。
「…エーテルの風だ」
打ちひしがれた調子で呟かれた誰かの声が、マストのへし折れる轟音によってかき消された————…
崩れ去っていく船の様子を目の当たりにしながら、あなたの意識は奇妙な浮遊感に包まれていた。見聞きする現実がひどく遠い…。自分以外の誰1人として、この異常な時間の流れに気づいてはいないのだろうか。吹き付ける豪雨にも構わず歩を進めるあなたの目の前で巨大な光輝く門が口を開けている。


ひとつ、またひとつと…。位相の狂ったパズルピースを無理矢理に紡ぎ合わせるように、”ソレ”は揺らめく虚無の光景をありありとあなたの内面へと創り出していく————…


???「タレカ…タガタメニ…タレガユエニ…
アネモネ「何を言っている?…アーネンエルベ…遺産?」 ”ソレ”を見た時、なぜか”ソレ”の名前を理解した。ノイエルで対峙した異界の神の精神攻撃を思い出し、吸血鬼は愛用の銃を握る。そして、やっと気づいた。手の平が大きく、いつもより視点が高いことに 「おかしなことばかり起こっておるな。まあよい。我に敵対するなら、殺すだけだ」


タレカ…タガタメニ…タレガユエニ…」「タレカ…タガタメニ…タレガユエニ…」「タレカ…タガタメニ…タレガユエニ…
アネモネ「う…ぐ……!だ…まれ」 光り輝く謎の存在がそう発するたびに頭が割れるような痛みが増していく。何か思い出しそうな…別の何かに変えられているような…そんな感覚する。
アネモネ「私は……我は…」


神の擬態『アーネンエルベ』を射撃し 殺した。 門の消滅ととも謎の存在は消え去った———…
アネモネ「失せろ。偽りなどいらぬ。我が進む道はひとつだけだ………」(だが、この世界は。我は一体…?)
思考を巡らせようとしても、意識が遠くなっていく。揺れる視界に映る空も海も、まるで存在しない蜃気楼のようだ。

 

 


船体を大きく揺さぶる横凪ぎの突風。木造の壁が鈍い軋みと共に悲鳴を上げる。…ひどい悪夢を見た気がした。おまけに頭痛もする。最悪な気分だが、今は船が嵐に巻き込まれる非常事態、紅茶と菓子で気分転換する余裕はないようだ。
アネモネ(下僕共はまだ眠っているのか…?近くに気配を感じぬな) 吸血鬼は姿が見えない下僕たちを探しに船室を後にした。

甲板へと昇った吸血鬼の耳に悲鳴と怒号が突き刺さる。船体を揺らす衝撃の中、逃げ惑う乗客たちの姿が横目に映った。

「…エーテルの風だ」
打ちひしがれた調子で呟かれた誰かの声が、マストのへし折れる轟音によってかき消される。藻屑となり崩れ去る足場。押し寄せる津波が、船体を真一文字に切り裂いた。
アネモネ「————っ!」 吸血鬼は誰かの名を叫んだが、荒れ狂う水の集塊に飲み込まれていった————…