一面の雪景色の中、在りし日の少女とその母が楽しげに笑い合っている…。セピア色の停滞に沈み、彼女たちは、かつて幸せあった時間を延々と繰り返しているようだ…
アネモネ「…この先は行き止まりだな。別の道を探すぞ。ドラクル」
ドラクル「はい。旦那様」
アネモネ「…?嵐が訪れたかのような雨音と雷鳴が聞こえるが、雨粒ひとつも落ちておらぬな」
ドラクル「火が爆ぜる音も聞こえますね。この廊下の先は炎に包まれていますが…不思議なことに、熱くないですね」
アネモネ「まるで夢みたいであるな」
「ひ」
屋敷の中を進んでいくと、真っ赤の炎に包まれた醜悪な男がついさっきまでいた。その額にはクロスボウの矢が貫通していた。
ドラクル「申し訳ありません。断末魔の暇も与えないように、一撃で殺したつもりでしたが」
アネモネ「良い。いつも片付けしてくれて助かるぞ。…ぬ?」
もしもここから生きて出られることがあるならば、私は炎を信仰しよう。この炎は私にとって救いの御手であり神の具現だ。
私は私の神に従い、身を捧げ、そして殉教する。
みんな…みんな真っ赤に染まれ。そう…全てが灰になってしまえばいい…。
吸血鬼の頭の中に直接響くように聞こえるノエルの声。それは日記の続きを語ったものだった。
アネモネ「…ふむ」
アネモネ「今まで起こった現象から、ここはノエルの記憶で作られた空間のようだな。と言っても、彼女にそんな力はないはず。ノエルは悪夢を見ていた。…ふと、思い当たることを思い出してな。昔、旅を共にした者の中に『悪夢の王』と名乗る夢魔がいた」
ドラクル「たしか、その方は人の血肉が好物で、他者に夢を見せることも好きという話でしたな」
アネモネ「そして、夢を食事することも好きだとな。夢は記憶から生まれるもの。すべて食べてしまったら、その夢の元になった記憶も消えると、奴は言っていた。これが夢魔の仕業なら、ノエルは記憶喪失どころか…」
ドラクル「廃人になるかもしれませんね」
アネモネ「我が見た記憶は忘れてほしくない。と、助けを求めている気がするのである。それにな、ここまで知ってしまったのだ。責任を取らんとな」
ドラクル「エリザさんがまた「むー!」となってしまいそうですね」
アネモネ「そ、そういう意味で言ったのでは~。…いや、有りか。有りだな」
ドラクル「ふふっ。旦那様らしいございますね」
ノエルの精神世界の最奥。幾千ものぬいぐるみに囲まれる奇妙な空間に、蒼溟の男が音も無く佇んでいる。
夢の迷宮に広がる漆黒の霧は、どうやらこの男から発せられたものらしい。
得体のしれぬ感覚に震えるあなたの目の前で、空間全体が大きくたわみ、底冷えのする静かな声音が響き渡った。
ナイトメア『常闇の眼を持つ冒険者よ、オマエはこの少女に何を見る?死にゆく少女の心に何を望む?』
夢魔の立つ祭壇の傍らには、巨大な水晶に封じられたノエルの姿があった。衰弱し、空ろな表情を浮かべたダルフィの少女は弱々しい視線をあなたへと向ける。
ノエル「……なんで……なんで、こんなところに来てしまったの…?ここにはもう、何も無いわ。…分からないの。外の世界でどう生きていけばいいのか…。どうすれば他人に怯えず、周囲の悪意を疑わず、人の心を信じることが出来るのか…。私には、何も無いの。あなたが命を懸ける理由すら…」
少女の言葉に、吸血鬼はいつもどおりの不遜な笑みを浮かべた。何も気にするなと語るように。
ノエル「…っ…馬鹿…やっぱり馬鹿よ…あなた…」
ナイトメア『世界の虚ろに進むべき道など有りはしない。それでもなお抗うというなら来るがいい。貴様のユメ、喰らい尽くしてやろう…』
ーーーー灰色の光が一閃した。黒い風が吹き、男の手に鈍色の骨の杖が呼び出される…。
アネモネ「ふはははははははっ!!愉快なこと言うな!我の夢を喰らうとは、腹が破裂しても笑ってやるぞ!ははははっ…。どんな存在であろうと、人の記憶に勝手なことするなど、許しがたいことだ。ドラクル!ノエルを守れ」
ドラクル「了解いたしました。旦那様」
アネモネ「貴様の弱点など我には見えておる。昏き焔に、その身を…ぬわっ!?」
詠唱の途中で攻撃を受け。一瞬、怯んだことによって。構築されようとした魔法は弾け。その反動で豊富にあった魔力までも、霧散してしまった。
アネモネ「これでは魔法をすぐ使えぬな。なら、こいつの出番であるな!」
アネモネ「ふはーっははははははははっ!!響け響け轟け!愉快愉快愉快!」
連射される銃弾。命中しても、かすり傷であったが。静寂を破壊するようなグレネードの音にナイトメアは煩わしそうに呻いた。
アネモネ「賑やかなパーティーの音は嫌いか?我は大好きだがな!」
*ズバシュッ* 夢を喰らう者『ナイトメア』を射撃し 殺した。「よもや、このようなことが…」
アネモネ「まあ、パーティーで踊るなら美しい女が良い。貴様は早々に立ち去るがいい」
黒い霧と共に崩れ去る夢魔。暗闇を追い払うかのように、暖かな光が差し込んできた… だが、それは悪夢のネフィアが崩壊する予兆であった。
アネモネ「この世界を作っていた夢魔が消えた影響か。出口は…いや、その前にドラクルたちと合流を」
そう言いかけたところで、光が世界を満たし————
起きて、ノエル。…ふふっ、あなたはお父さんに似てお寝坊さんね。
ほら、見て。お日様が遠くの空から顔を出して、一日が始まるよ、って皆に教えてくれてるわ。
…ねえノエル、つらいことや悲しいことがあって前に進めなくなってしまったら…その時は何もかも忘れて、生まれたままの気持ちで自分が今いる場所を見渡して。
きっと其処には奇跡があるわ。…あなたが目を向ければ、世界はいつだって輝いているんだから。
気がつけばまだそこは夢の中。そう、これは夢。今際の際に見るただの虚構。本当の私はきっとまだあの黒い繭の中に囚われていて…
ノエル「————…なんて…現実逃避も、もうお終いか」
目覚めたノエルは吸血鬼に両腕で抱きかかえられていた。俗にお姫様抱っこ状態であった。
ノエル「本当にアイツを倒しちゃったのね…。信じられない…………どうして…私を助けたの……?」
アネモネ「ぬう?」
ノエル「私のことなんて、放っておけばよかったのよ…。こんな…命懸けで助けてくれた相手にさえ、まともにお礼を言えない女…。他人の悪意にいつも怯えて…その癖、独りで生きるのが堪らなく恐くて…。嘘つきで、ひねくれてて、うす汚れた子供…。こうしている今も物陰でうずくまって、必死にあなたから距離を取ろうとしてる…」
アネモネ「…」
ノエル「信じるな…。また騙されるに決まってる…。今までだって、ずっとそうだったじゃないか…って…………1人は寂しくて、哀しいけど……もう、裏切るのにも、裏切られるのにも疲れてしまったから…。…?どうしたの…?」
少女は背中越しに自分を抱く腕に力がこもったのを感じた。触れそうなほど近い息遣いに、思わず胸が高鳴った。暖かいと、そう思った。体温じゃなくて…
アネモネ「それでも、我はノエルのことを好いておる。それだけだ」
迷いない真っ直ぐな言葉。己の歩む道を信じる男の眼差しは、少女には眩しく思えた。
ノエル(いつか、私もこんな風に生きられるかな…)「————あ…」
まるで全てを洗い流すかのように、明星が世界に朝を告げる。
ノエル(はじめてだ… あの夜以来、何を綺麗だと思ったのは…)
温かい腕の中、少女はそっと涙を流す。いつか見た純白の景色と夢の続きを、その先を見つけられたような…そんな気がして。
それに吸血鬼は静かに笑った。大嫌いな夜明けの光を浴びながら、微笑んだ。
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