*今回は長々続いたアネモネとマリーの話が中心となった小説みたいな内容になります。
夢を見たんだ。
目の前には私の愛する人の温かな微笑み。隣には私を助けに現れた友。彼女をさらった邪悪なバンパイアロードは灰となり。夜が明ける。
私闘のために騎士としての剣を捨て、先祖代々が築いた財産も失った身だが…私は守ったのだ。けして失いたくない大切なものを……
…そう。これはそうならなかった夢だ。
ドラクル「お帰りなさいませ。我が主。エリザさんとマリーさんも無事に合流できたのですね」
ジル「マスター!お帰りですですー♪」
アネモネ「ははっ。無事に帰還したぞ。そなたたちはいつも出迎えてくれるな」
ドラクル「私は待つことに慣れていますので。それでは…お食事にしますか?お風呂になさいますか?そ・れ・と・も」
アネモネ「やめぬか…。我はマリーと大事な話がある。すまんが、席を外してくれぬか」
マリー「…」
エリザ「その…マリー。顔色が悪いですわよ。旅で疲れが溜まっているでしょうし。ちゃんと休んだ方が良いですわよ」
マリー「え…いや、私は大丈夫だ。少し休憩すれば…」
アネモネ「…確かに、そうだな。話は明日にしよう」
マリー「だが…」
アネモネ「休め。我も休みたい」
マリー「…わかった。……おやすみ」
何か言おうとして止め、代わりに挨拶を残してマリーは寝室がある2階へ階段を登っていった。
アネモネ「それでは…我も寝る。そなたたちも好きにせよ」
エリザ「おやすみなさい。あなた」(…様子が気になりますけど。事情も知らないのに、口出しするのは良くないですわよね)
アネモネ「…っ」
目蓋を閉じると見える断片的な光景。それは己の眼が見た過去。戦争…信仰のための戦いだった。もう遠い日々だ。半年、1年以上も経って…やっと帰れたのに。…妻が亡くなっていた。私はただ愛する妻と一緒の時間を過ごしたいと、ただそれだけを願っていた。私は…一体、”何”に祈っていたのだろう。妻の遺品を眺めていると、深紅の石が付いたペンダントが目に止まった。私は手に取り、首に巻きつけ———その時、現れたのだ。あれは…。
アネモネ「っぁ!はー…っ、はー…っ」
荒く息を吐き。アネモネは気持ち悪い感触がする喉に触れながら、身を起こし。その辺に置いているウィスキーを取り、流し込むように飲む。舌に苦みだけが残り。酔いなど、まったく感じなかった。
アネモネ(……最初は他人事のように見ていた記憶は我の目線で。それは私が体験したことで…。後悔している?こうなることを我が望んだというのに。私が選んだことだというのに)
朝になったら、いつもどおりの…皆が知っているアネモネとして振る舞い。そして、約束どおり、マリーと会わなければ。思い出した記憶と変わらない、あの青い目の…。
アネモネ(私を見る。怒りに燃える青い目。あいつが私を許すわけがないのに…)
真実を知り、それに向き合うことになる夜明けが恐ろしい。己を奮い立たせようとするが、胸の奥にあるものが潰れるような痛みを感じる。闇へ、ふらりと姿を消したい衝動に駆られる。人間であることを捨て、血に欲に狂気の狭間に踊る吸血鬼へと。そう考えるだけで退廃的な心地よさを感じる。
アネモネ(…だが、そんなもの。惨めだ)
寝返りを打ち、ふとベッドの近くに置いてあるジュアの抱き枕と目が合う。
ジュアの抱き枕「…」
アネモネ「…」
何かに導かれるようにアネモネはジュアの抱き枕を抱き寄せる。ふわふわとした柔らかな感触、落ち着く良い匂い。少しだけ張りつめたものがゆるみ。ウトウトとアネモネの意識は夢の中に沈んでいった。癒されるような優しい手が頭を撫でた気がした。
陽が昇る前の薄闇の中。吸血鬼の部屋の前に立つ、金髪を三つ編みに結った女の後ろ姿があった。青い目はジッと扉を見つめる。
マリー(あまり眠れなかったな…。つい部屋の前に来てしまったが、あいつはまだ寝てるよな…?)
落ち着かない様子で、扉の取っ手を見る。少しだけ開いて覗くべきか、やはり部屋から出てくるのを待つべきかと迷っていた。
マリー(もう逃げない。と、そんなことを言っていたが…私はただ)
ドラクル「早いですね。マリーさん。…我が主はお休みの最中ですよ。邪魔をされたら、そこの黒い甲冑が攻撃モードとなって、動き出す…」
マリー「動く…!?」
ドラクル「いざという時の防衛システムにならないかと、お嬢様に進言しましたね。ふふっ。お嬢様は大笑いされて、いずれ作ると言っていましたね」
マリー「…。つまり今はただの飾りなんだな」
ドラクル「面白かったでしょう。さあ、食堂に向かうと良いでしょう。今頃、ガーンナさんが朝食を用意してるでしょうから」
明らかに立ち去ってほしい誘導だ。確かに扉の前で待っているのは、アネモネに圧力をかけるような行為だろう。しかし、ここを去るということは…危うい状態のアネモネを、この作った笑みを浮かべている男に任せることになる。そう思ったマリーは…
マリー「なら、貴殿もご一緒に」
ドラクル「…私を?申し訳ありませんが、私はお嬢様が起床した時のお世話をする待機をしていますので」
マリー「眠っているところなんだろう。少しぐらい問題ないよ。アネモネはまったく気にしないさ。さあ、早朝は冷える。温かい紅茶でも飲むといい」
ドラクル「おやおや、いつになく強引なお誘いでございますね」
穏やかな会話(?)とは裏腹に、2人の間に火花が散るような張りつめた空気が漂う。言葉ではなく、どちらかが一歩でも動けば、このまま決闘になりそうな雰囲気だ。そして、そこで動いたのは…。
エリザ「………。あなたたち、いつまで廊下を塞いでいますの…?」
蝋燭の明かりだけが照らす薄暗い廊下の向こうにある扉から、困った表情を浮かべた少女が姿を現す。なぜなら、そこはエリザの部屋。1階へ降りる階段に行くにはアネモネの部屋の前を通る必要があった。
マリー「あ…すまない」
ドラクル「これは申し訳ございません」
エリザ「よろしい。それじゃあ、あなたたちも行きましょう。こんなところで立っていられたら、あのひともゆっくり休めないでしょう」
そう言ったエリザは道を開けた2人の腕を掴み、1000超えの筋力でそのまま引きずるように引っ張っていった。
マリー「うわあぁぁ…」
ドラクル「エリザさんも強引でございますな~」
やっと静かになった廊下だが、ひとつ扉が開く音が響く。
アネモネ「…」
ジル「おっはようございまーす♪」
エリザ「おはようございますわ」
マリー「おはよう」
ドラクル「おはようございますな」
ガーンナ「おはようでごじゃる」
ジル「ふーんふん♪ふんふん♪ふーんふん♪ふんふふん♪♪」
少年はリズミカルに鼻歌を歌いながら、席に着く。やけにご機嫌な様子が気になるエリザは尋ねた。
エリザ「随分と元気ですけど。何か良い事でもありましたの?」
ジル「うぇひひひ…それはですね~、くひ、くひひひひひひひひ…。はわわ、すいません。まだ収まらなくて…興奮が。マスターが僕の部屋に来ましてね。僕をいっぱいなでなでしてくれて、更にぎゅ~と僕を抱いてくださって、僕は…僕は…く、くひ、ひひひひひひひひひひひひひひひひ♥♥♥」
エリザ「そ、それは良かったですわね…?」
ジル「あ、そうだ。お前」
マリー「うん?私のことか」
ジル「マスターがダンジョンのだいせーどー?ってところで待ってるぞ。と、言ってましたよ。早く行ったらどうですか」
マリー「…わかった。教えてくれてありがとう」
ジル「マスターのお願いですから。当然ですです!」
~ダンジョン~
重々しい音を立てて開く扉。一歩踏み出せば、ずらりと並ぶ燭台たちがひとりでに灯った。ここは以前2人きりで話す時に、アネモネに連れてこられた大聖堂だ。
マリー「…?」
青い目は不思議そうに内装を見つめる。前に来た時より、広くなっている気がする。あれから改装でもしたのだろうか?そんなことを考えながら、赤い絨毯を踏んでいくと、黒いマントの後ろ姿が見えてきた。
アネモネ「来たか。お前と話すにはちょうど良い、静かな所であろう。まったく、我はアマテラースオーカミではなく吸血鬼であるぞ?扉前で騒ぎおって、安らかに眠ることも出来ん」
マリー「アマテラー?いや、その…本当にすまない」
アネモネ「まあよい。どちらにせよ。この場所で話そうと思っていた。……察していると思うが、我は思い出した。いや、気づいたのだ。私は誰だったのかを…。お前は誰で、どんな関係だったか。私は何をしてしまったのか…断片的にな」
マリー「…っ!」
息を呑み。緊張した面持ちで、マリーはアネモネを見つめる。だが、背を向けたまま、吸血鬼はこちらを一切見ない。その背中は、今にもどこかへ消えてしまいそうな…かつて、逃げ去った友の姿と重なった。
アネモネ「罪はここだ。己の不幸のために、お前を騙し。許婚がバンパイアロードの餌食になるように仕向け。お前の手で殺させた。彼女を汚した不死身の化け物を滅ぼすバンパイアキラーの力を得るために。鞭に呪いを宿したのだ」
マリー「…」
アネモネ「弱ったバンパイアロードから不死の力を奪い、私は吸血鬼となった。神が与える運命を呪う…それが私の正しさだった。きっとお前なら、私を理解してくれる。愛する者を失う悲しみを分かち合ってくれると……。いや、そんなもの…建前だ。本当は…これから結婚し。病弱だった私の妻と違い、健康な彼女との間に子供も恵まれるだろうお前が憎らしくなったのだ。同じ地獄に堕ちろと…」
その言葉にマリーは無意識に拳を強く握りしめる。爪が食い込むほど強く、強く。あの時、感じた激しい怒りが蘇り…深い悲しみと共に彼女の顔が思い浮かんだ。人間の心のまま眠ることに安堵した微笑み。きっと自分のような不幸を無くしてくれると信じた蒼い瞳。涙に濡れていた白い頬を優しく撫でようにも、その身体は灰に変わり。何も残らなかった。彼女が生きていた証は…この胸の痛みと記憶だけだ。
アネモネ「この世界は混沌としている。あらゆる存在が入り乱れ、私のような存在も受け入れている。私の今までの行い、知っているだろう?傲慢で、残虐な、人でなし。お前がいた世界では許さない行為だ」
マリー「確かに…そうだな」
そう言って、立ち止まっていたマリーは一歩、二歩と近づく。その足音に吸血鬼は小さく息を吐き。背を向けたまま、動かない。だが、腕を引かれ、向きが変わった視界の先に、弱々しい表情を浮かべた己の顔が映る青い目があった。
アネモネ「我を、憐れんでいるのか」
マリー「………憐れだ。私を見ようとしない、お前が」
その青い目は真っ直ぐと吸血鬼を見つめる。強い光を宿した瞳は鮮やかに晴れた青空のようだ。
マリー「私を信じてくれ。お前は、私の友であると」
アネモネ「救世主のように許すと?」
マリー「怒りの日はいつでも心を焦がす」
いくつもの季節の巡りが過ぎ、記憶の底へ埋もれようが、罪への憤怒は在り続ける。
マリー「恋人も、友も救えなかった…無力な私も地獄に居た」
もう一度、一生の愛を誓おうと想った妻との出会い。子の誕生の喜びの得ても。あの夜の嘆きを忘れられない。
マリー「怪物になってしまったお前を滅ぼす。それが救いだと、私は探し続け…お前に、アネモネと出会い。友となったのだ」
この奇妙な世界、イルヴァでアネモネと出会い。この世界で共に過ごした日々と友情は、マリーが歩んできた人生の中に存在するのだ。
マリー「最初は昔のお前と重ねていた。捨てた人の心を取り戻し、本当のお前に戻った。…そう見ていた私を怒ったな。代わりにするな、と」
アネモネ「笑えるだろう。アネモネという自我があり、かつての己は別の自我である、と。別物だと考えていたんだ。我は…私だったんだ」
マリー「それでも、お前はアネモネだ。この世界で共に旅をしたアネモネだ」
アネモネ「無理だ…知恵の実を食べてしまった。我はもう、そなたと友となった我ではない」
マリー「いいや、お前は私の友だよ」
アネモネ「…我は、私を許せない」
マリー「いくらでも向き合うといい。私も向き合おう」
アネモネ「……呆れるほど、馬鹿だな」
マリー「それが私の生き方なんだ。我が友よ」
アネモネ「…お前が嫌になるほど、終わりない愚痴を聞かせるぞ」
マリー「問題ない。私は恐ろしいほどしつこいからな」
アネモネ「知っておる」
マリー「ふふっ」
真紅の絨毯に寝転がり吸血鬼は赤い目を細める。先刻の出来事が夢と思うほど、静かで穏やかで、ぼんやりと眺めていると、夕暮れの光を通したステンドグラスが室内を温かに照らしていた。
アネモネ(神の眼光…だったか。窓から光を通して、こちらを見ていると)
暗い闇に恐怖を感じる人々は明かりに安心と憧憬を覚え。光に神の存在を感じ。信仰するようになったのだ。…この身を焼く太陽が嫌いだった。しかし、記憶を失っている間はまったく平気で…結局はどう思うか次第なのだろう。今はただ、この光を美しいと穏やかに思うのだ。
アネモネ「…時は春、日は朝、朝は7時」
エリザ「片岡に露みちて、揚雲雀なのりいで、かたつむり枝に這ひ、神知ろしめす。すべて世は事も無し…でしたっけ?良い詩ですわよね」
アネモネ「そなたもあの本を読んで……ぬ?」
言葉を止め、アネモネは驚いたように立ち上がり。ジッとエリザを見つめた。まるで奇妙なことが起こったかのように。
アネモネ「…エリザが居るのだが。この場所を教えた覚えはないぞ?」
エリザ「私、あなたを探すのが得意ですのよ。朝から姿を消してて…もう夕方ですわよ?」
アネモネ「先にマリーを帰したが、会わなかったのか?帰りは遅くなるかもしれないと、伝言を頼んだのだが」
ロクに眠らず、食べずにいたマリーはだいぶ疲労が顔に出ていた。だから、アネモネはマリーに帰還の魔法をかけ。自宅に帰したのだ。…フラフラしながら、また後で会おう。と言っていた。
エリザ「あら?残念ながら、すれ違いでしたわね」
アネモネ「…ところで。なぜ、ごく普通に話している?この姿を見るのは初めてであろう…?」
エリザ「あなたが変態しているなんて、いつものことでしょう。幼女詐称吸血鬼」
アネモネ「なんだその言い方は…。我が、そなたが知るアネモネではないものに変わっていたらどうする?」
エリザ「気付いていませんの?あなたは昔と変わっていますわよ。だから、少し雰囲気が変わったあなたもあなたですわよ」
アネモネ「……そうか…」
呟くように小さく発した後、吸血鬼は微かに微笑み。それを見た少女も一緒に笑んだ。
エリザ「…ところで、立派な大聖堂ですけど。何を祀っていますの?ま、あなたのことだから女神でしょうけど」
アネモネ「女神か…。なら、そなたを祀ろうか。血の女神エリザよ」
エリザ「それはあなたが勝手に付けた異名でしょう…!!私を祀るなんて…その…どうせなら、猫を…そう、そうですわ…!今日からはここは…ふわふわで柔らかなお身体、あの美しい瞳、恐れ多い愛らしい肉球、聞くだけでとろけるあの素晴らしいお声を、この世の愛の化身である猫を賛美する場所ですわ!」
アネモネ「何を言っておる…?我は猫も好きだが、どちらかというと犬が…」
エリザ「うふふっ。あそこのスペースに猫の像を置いたら良さそうですわ♪」
少女は楽しそうに、どう内装を変えるか話しながら歩き出し、吸血鬼の手を引く。その光景が、他愛もない会話が、夢のぬくもりのように温かく。アネモネは平和な日常に身を任せることにした。
完。と書いてもおかしくない話でしたが、まだ終わっていないこともあります。残りの魔女戦とずっと最終回として書こうと思っていた話など、もう少しお付き合いして頂けると幸いです。
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