レントンと妹

 少女の声が聞こえる。
 それは聞き覚えがある声。
 才能が無い自分など生きる価値など無いと湖に飛び降りて、そのまま冷たい水の中で息絶えた妹の声だ。
 なんて言っているのかわからない…ただ私にわかるのはそれは妹の声だということだ。
 レントンは「ああ…」と呟く。
 生気が無い人形のような顔に笑みを浮かべた。それは壊れかけた笑み。
「呼んでいる。やっと呼んでくれた…行こう」
 魔術師の男は湖に飛び込んだ。
 水は冷たかった、あっという間に熱が奪われていく。空気は泡のように身体から消えていく…
 あまりの寒さに、水の重さに、泳ぐこともできない。
 泳ぐというより、もがくようにレントンは腕を伸ばす。
 暗い底に死んだ妹の姿が見える。
 黒い髪が水の中でゆらゆらと揺れている。着ている服はあの時と同じ服。
 暗くてどんな顔をしているのかわからない。聞こえる声も、なんと言っているのかわからない。
 ただ妹がそこにいる…それだけを見つめて、自ら望んで深く深く落ちる。
 やっと妹の元に辿りつき、レントンは妹を抱きしめる。
 あまりの冷たさにこれが人間なのかと思うほどだ。
「言いたいことがあるんだ」
 そう話しかける。妹は何も答えない。こんなにも近くにいるのに、相変わらず顔が見えなかった。
「お前は才能が無い自分は、必要が無い人間だと言っていた。生きる価値がないと、
 両親は魔術師としての才能を開花させた私に期待して、お前のことを見てなかった。
 私も妹を追い詰めた原因のひとつだった…私は絵描きとして努力するお前を見て、くだらないと思っていた。
 私はなぜそこまで妹が努力するのか、必死になるのか、理解しようとしてなかった。
 浮かれていたんだ、魔術の才能がある自分に。
 精神を病んだ妹は療養…という名の厄介払いをされた。
 遠くのヴェルニースに妹を送った両親はホッとした顔で、私はそんなことには無関心だった。
 ある冬の日。妹が湖に身投げしたと知らせを聞いた。両親は行くことを嫌がり、私は仕方なく見に行った。
 灰色の空から静かに落ちてくる真っ白な雪、氷が張った湖に浮かぶ少女の身体。
 回収にしようにも、下手に動かせば傷つけると放置された死体。
 冷たい氷の中、開いたままの、私と同じ赤い目は光を灯してなかった。
 その光景が目に焼きついて…はじめて無関心だった妹に興味を抱いた。
 親は臭いものに蓋をするように、妹の部屋にあったものをすべて処分してしまった。
 けれど、お前がレイチェルの絵本のことを楽しそうに話していたことを私は覚えていた。
 何人かの冒険者に頼んで、私はレイチェルの絵本を手に入れた。
 そして、妹が感じていた絶望をやっと理解したんだ。
 妹が描いていた絵に無い、生き生きとした美しい世界。惹きこまれるような感覚…これが才能だと。
 私は魔術師といってもただ魔法が使えるだけだ。そこから新しいものを生み出すことはできない。
 お前はこんな世界を生み出そうと思っていたんだな。
 今になって、私は兄として何かできなかったのかと考えた。
 けれど死んでしまった妹にできることなんて何も無いんだ…
 何も答えないままの妹をレントンは抱きしめる…いや妹だと思い込んでいる水底にある岩を抱きしめ、そのままレントンは意識を失った。

 ………目が覚めると、湖の前でレントンは倒れていた。
 目に映るのは、あの日と同じ鈍い銀の空。雪が降っている。
「私は…生きてる価値があるのだろうか?」
 と呟くと、
「価値なんて知らないけど、わざわざ捨てる必要はないだろ」
 なぜかずぶ濡れのレイチェルの絵本を届けてくれた旅人はそう答えた。

 

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